宝塚歌劇団月組・星組トップ娘役を歴任し、2005年に宝塚歌劇団を退団して以降、破竹の女優街道を突き進む女優、檀れいさん。
退団直後の2006年12月に出演した映画『武士の一分』ではこれが銀幕デビューとは思えない堂々とした演じぶりで、日本アカデミー賞優秀主演女優賞をはじめ、数々の映画賞を受賞されます。
その後はおなじみの『金麦』のキャラクターを務めるなど、お茶の間の顔としての安定した人気と、どんな役でもこなせる幅の広い女優として、実力派女優の筆頭に数えられる、檀れいさん。
今回は、ご主人である及川光博との馴れ初めには隠された意外な事実が?!これは、調べない訳にはいきません。
徹底検証していきましょう!
檀れいと及川光博の馴れ初めに隠された意外な事実とは?!
檀れいさんと及川光博さんの出逢いは、2010年1月に放映されたTVドラマ「相棒」のスペシャルでした。大学時代の元恋人役で共演した檀れいさんと及川光博さんは、その後交際するようになります。
2011年7月27日にお二人は結婚されます。これだけ聞くと出逢いから、交際、結婚へととんとん拍子にことが運んだように見えますが、そこには人知れずの、紆余曲折が隠されていました。
最初にアプローチをかけたのは及川光博さん。ご存知“ミッチー”ですが、及川光博さんは以前から公然と「40歳までは結婚しない」と宣言していました。
お二人が結婚を発表したのが、及川光博さんが40歳の時。神がかり的と言うか、ミッチーらしいというか。
たまたま偶然と言えばそれまでですが、お二人の間には、そのほか偶然とは思えない必然がいくつも隠されています。
例えば、及川光博さんの王子キャラですが、これは、事務所がプロデュースのために作り上げたものではなく、及川光博さんご自身が、どうやったら自分の個性を生かせるキャラができるのか、自分自身を検証して自ら作り上げたものなのだそうです。
及川光博さんの王子キャラがどうやって作られていったかと言うと・・・
及川光博さんのご実家は、お父さんが幅広く事業をされていて、小さいころから生粋のおっぼちゃま育ちでした。ここでまず一つ、王子様キャラとして必要な(?)育ちの良さがクリアされます。
そのお父さんですが、なんともキザと言うかダンディーと言うか、自分を素敵に見せることに長けている方のようです。
ここでも王子キャラは遺伝的要素なのか、お父さんの影響が色濃く反映されています。
そしてもう一つ、ココがお二人の馴れ初めと交際に向けての、大きなポイントです。
お母さんが宝塚歌劇団の大ファンで、及川光博さんもその影響で宝塚歌劇団のファンになっていたというのです。
小学生のころからその端正なお顔立ちでモテまくっていたという、及川光博さん。
所属していた演劇部でも王子様衣装が大好きっだったことを公言されています。
その後、強烈な王子様キャラで90年代の音楽シーンを席巻するわけですが、及川光博さんの立ち振る舞いやステージパフォーマンス、ヘアやメイクに至るまで、宝塚の影響は計り知れなく存在するようです。
かたや、宝塚歌劇団、月組、星組、トップ娘役を歴任された檀れいさん。
地元兵庫県の高校を卒業後、1990年に宝塚音楽学校に入学、そして1992年に宝塚歌劇団に入団します。
1999年月組トップ娘役に就任以降、2年間の専科移動を経験した期間もありますが、2003年には星組トップ娘役に就任し、2005年に退団されています。
宝塚歌劇団当時から華やかで、華々しい経歴の持ち主の檀れいさん。月組トップ娘役時代、専科時代には、2度にわたる中国公演で、「楊貴妃の再来」と最大級の賛辞を贈られたこともありました。
しかし、何事も順風満帆にことが進んでいたわけではありませんでした。
宝塚歌劇団、入団時の成績は40番。これは最下位を意味します。
これが、その数年後には、娘役トップの座に就任するのですから、その努力たるや計り知れないものがあったことでしょう。
もって生まれた美貌だけに頼っていたのでは、トップ娘役の座などつかめるはずもありません。立ち振る舞いや、指先の動き、細かな感情の変化を表情だけで表現するなど、人知れずの努力をされて、トップの座を勝ち取った檀れいさん。
引退後の活躍も、これは必然と言えます。
檀れいさんと、及川光博さんさんは年齢こそ2歳差ですが、ほぼ同じ時代、形こそ違えども、宝塚歌劇団の影響下で生きてきました。
このお二人が、出逢うべくして出逢ったドラマ「相棒」での共演。
ドラマ「相棒」での共演から約1年半後の2011年7月27日に結婚された。檀れいさんと及川光博さん。
当時はこの結婚が電撃的と表現されていましたが、お二人の歴史を照らし合わせると、出逢う前から実は必然的に結ばれる運命にあったことがわかります。
交際する前は及川光博さんからのアプローチがあったそうですが、元来は人との付き合いがあまり得意ではない檀れいさんは最初、断り続けていたと聞きます。
それから、何とかデートに漕ぎつけられた及川光博さんは、自身の知る宝塚歌劇団のお話や、自分がどんな形で影響を受けてきたかなどをお話しされたことでしょう。
ただ、及川光博さんは、この時代の宝塚歌劇団はあまりご存じなかったようで、檀れいさんの宝塚歌劇団時代は知らなかったそうです。
きっと知らなかったことが、お二人の距離を縮める要因の一つだったのかもしれません。
だんだん及川光博さんに心を許し始めた檀れいさん。きっと、宝塚歌劇団、トップ娘役時代の相手役、真琴つばささんや湖月わたるさんようなときめき、いやそれ以上のドキドキを及川光博さんから感じ取られていたのではないでしょうか?
お二人の交際期間は、確かに短いですが、感覚的に、檀れいさんも、及川光博さんもずっと以前からお付き合いしているような不思議な感覚があったのではないかと思われます。
お子さんのいらっしゃらないお二人。一説には。及川光博さんが子供を望まないタイプだとか、檀れいさんが親の介護があるだとか、言われていますが、本当のところは、お二人にしかわかりません。
プライベートでは今でも、「ミッチー」「ハニー」と呼び合う二人。
人目をはばからずキスをするなんてことも。美男美女の二人だから、映画やドラマのワンシーンのように絵になってしまいます。
まとめ
檀れいさんと及川光博さんの馴れ初めにまつわるエピソード、いかがでしたか?
檀れいさんの女優のルーツは宝塚歌劇団。及川光博さんの王子様キャラも宝塚歌劇団にルーツがあることがわかりました。
お子さんがいらっしゃらなくても、新婚当時と変わらぬラブラブぶりがたびたび目撃されているお二人。
永遠の王子様とお姫様でいてくださいね!
演技が下手すぎて宝塚を退団していたって本当?
宝塚歌劇団、月組、星組のトップ娘役を歴任されて、現在は、映画やドラマ、舞台にCMと多忙を極める人気女優の檀れいさん。
実力派女優の呼び声が高い檀れいさんですが、宝塚歌劇団の退団理由が、演技が下手すぎてのことらしい、と言うショッキングな情報が入ってきました。
檀れいさんの演技のどこが下手だったのでしょうか?
これは探らずにはいられません。
徹底検証していきましょう!
宝塚歌劇団入団時は何と最下位?!
前の記事にも書きましたが、檀れいさんが宝塚音楽学校をご卒業されて、宝塚歌劇団に入団した時の成績は、40人中40番。
その美しさは群を抜いていたことは確かのようですが、そのほかの、歌や踊り、肝心の演技がまるでだめっだったと、当時を知る関係者の方も語っています。
そして、宝塚歌劇団第78期生の檀れいさんの同期には、瀬奈じゅん、大空祐飛、貴城けいなどが名を連ねます。
まさにスターの当たり年ならぬあたり同期です。
恐らく、宝塚音楽学校時代から、その実力差に愕然とさせられることもあったでしょう。
そして、先輩たちももちろん実力者ぞろいのプロ集団です。
檀れいさんは、宝塚歌劇団の入団時は月組に所属していました。実力者ぞろいの78期生の中において最下位入団の檀れいさん。
はじめのうちは、あまり役が付かず目立たない存在でした。
それが1997年の雪組への異動で転機が訪れます。
『浅茅が宿』で新人公演ヒロインに大抜擢されたのです。今までの努力が実を結んだ結果でした。しかも、この公演は新人公演の最後を飾る舞台。まさに最後の最後での大どんでん返しでした。
しかし、この時はまだ、宝塚歌劇団のファンはおろか、先輩も後輩も、同期も、そして檀れいさん本人も、その後の自身の立ち位置がどうなるのかなんて知る由もありませんでした。
ここで、簡単に、宝塚歌劇団の新人公演について触れておきます。
宝塚歌劇団の新人公演
宝塚歌劇団の新人公演は“下級生”から“中堅生”と呼ばれる、初舞台を踏んだばかりの生徒から、入団して7年目の研究科7年、略して“研7”までの生徒たちで構成されます。
宝塚大劇場、東京宝塚劇場で行われる通常の公演を“本公演”と呼びますが、新人公演はその期間中に一度だけ開催されます。
演目は、本公演と全く同じものが上演されます。
本公演が芝居とショーの二本立ての場合、新人公演は多くのケースで芝居が演じられますが、ショーの時もあります。
本公演ではセリフももらえない、後ろで踊っているだけの生徒たちが、セリフがもらえたり、前列で踊れたり、そして、主役を演じることが出来たりと、これはもう自分たちの「格好のアピールの場」となるわけです。
演出家なども、普段目にすることができない若手の成長を目にすることができます。プロ野球の2軍戦のような感じです。
そこで目に留まった下級生や中堅生が次の公演から重要な役をもらえるようになったりするのです。
いわば新人公演は次代を担う宝塚歌劇団のスターの登竜門と言えるでしょう。
逆を言えば、このチャンスを逃すと、それ以降は泣かず飛ばすの生活が待っていることにもなります。
現に、新人時代が終わって退団する生徒はとても多いそうです。
これはもう、気合が入らないわけがありません。
新人公演といっても、きちんとチケットが販売される、れっきとしたプロとしての舞台です。
熱心なファンの方々も、次のスター発掘の場ですから、当然注目度か高まります。しかも、1か月半ほどの本公演うち、たったの1回のみの新人公演です。
チケットはもう、すぐに売り切れれしまいます。最近ではダイジェスト版としてDVDも発売されるほどでの人気ぶりです。
そんな宝塚歌劇団の新人公演。自分たちの役者人生を左右してしまう重要な公演なのです。
特に研7の生徒たちにとっては、これが最後の見せ場になるかもしれません。
ここで重要な役をもらえないときは、今後の身の振り方を考えなければいけなくなるかもしれないのです。
重要な役をもらえたとしても、上手く演じ切れるかどうかにより、やはり今後のキャスティングに影響することでしょう。
その緊張感たるや、計り知れないものがあると聞きます。
檀れいさんのその後はどうだったのでしょうか?
月組トップ娘役へ
雪組時代の最後の新人公演、『浅茅が宿』で見事ヒロインを演じ切った檀れいさん。俄然注目が集まります。
翌1998年に月組に返り咲いた檀れいさんは、なんと驚きの真琴つばささんの相手役、娘役トップの座に就任するのです。
この大胆人事にファンの中からも驚きの声が上がります。
何故なら、この時月組には千紘れいかさんと言う二番手娘役がいたからです。
そしてこの千紘れいかさんは檀れいさんと同期の78期生。自然の流れで言うと、千紘れいかさんがトップ娘役で、檀れいさんが二番手でいいのじゃないか?となります。
しかし現実はそうはなりませんでした。
宝塚歌劇団の男役、娘役の比率は約半々です。その期により、違いはありますが大体そんなに変わりはありません。
なので檀れいさんは、男役、娘役の比率が半々として同期の中でも19人抜き、しかもその期ごとにトップが入れ替わるわけではありませんから、それはもういったい何人抜き?っていうところぐらい凄いことをやってのけたのでした。
当然、そのことはファンのみならず、仲間内でも嫉妬や妬みを買う要素となりました。
月組トップ娘役に就任した当初は、孤立してしまっていたそうです。
そんな中、逆境にめげずに出演した就任後初の公演、全国ツアー『うたかたの恋』は好評のうち終了します。
自分の演技を認められてきていることに自信を持ちつつも、いまだ孤立した状況は変わりません。
そんな時、真琴つばささんからこんな言葉を投げかけられたそうです。
「歌や踊りは努力でうまくなるけど、見た目のきれいさはどんなに努力してもなれない。だから自信を持ちなさい」
この言葉に勇気づけられた檀れいさんは、周囲の見方を変えるには努力しかないと、一層奮起します。
元来が努力家の檀れいさん。その努力の甲斐あり、もって生まれた美貌にプラス、その演技力にも磨きがかかります。
そうして、周囲も認める当代きってのトップ娘役、『檀れい』が誕生したのでした。
その後は、2001年真琴つばささんの退団に伴い、専科へ移動します。
通常でしたら、そのままほかの組専属に移ることなく、退団まで専科での活動になることが多いのですが、2年後の2003年今度は雪組の湖月わたるの相手役、つまりは“トップ娘役”に就任します。
これは異例中の異例の人事で、もはや檀れいさんは宝塚歌劇団にとってなくてはならない大スターとなっていたことの証です。
それから、2年後の2005年に宝塚歌劇団を退団することになる、檀れいさん。ここでも様々な憶測が飛び交います。
月組の時と同じように、妬みや反感を買っていたのではないか?とかファンや周囲の間ではいろんなことを言われていたようです。
確かに、2年ほどでの退団となると、期間としては短すぎます。何か退団しなくてはいけない理由ができてしまったのか?と訝る(いぶかる)意見があってもおかしくありません。
その真相は、檀れいさんの決断でした。
星組トップ娘役に就任した時から、「あと4作で退団する」と自分の中で決めていたのだそうです。
と言うのも、「宝塚が大好きだから期限を決めないとずっといてしまいそうだから」
誰よりも宝塚歌劇団を愛する、檀れいさんらしい決断の仕方でした。
専科時代の中国公演ではあまりの美しさに「楊貴妃の再来」と最大の賛辞を贈られた檀れいさん。
星組トップ娘役時代の2004年の公演『花舞う長安』では、まさにその楊貴妃を演じます。その妖艶で華麗な姿は伝統ある宝塚歌劇団の舞台においても語り草となるほどの美しさであったと言います。
そうして2005年の『長崎しぐれ坂/ソウル・オブ・シバ!』の舞台を最後に、ファンをはじめ多くの関係者にも惜しまれて引退されます。
まとめ
檀れいさんの宝塚歌劇団の退団理由は演技が下手すぎて?!と言う情報から調べてみたところ、確かに宝塚音楽学校、そして新人時代は演技力が足りなかったことは事実のようです。
現に、宝塚歌劇団の入団当時は40人中40番目の最下位でした。
そこをご本人の努力でリカバリーされて、見事トップの座を手にされた檀れいさん。しかも前例のない、月組、星組でのダブルトップ娘役を歴任されます。
これは天性の美しさだけでなく、檀れいさん自身の努力で培われ、磨かれた演技力のたまものでした。
退団後の活躍も、美しさとともに、その演技力あってこそのものです。
若いころは確かに拙かった演技が、相当の努力で克服されて、惜しまれて宝塚歌劇団を退団された。と言うのが真相でした。
檀れいさんは、綺麗なだけでなく、努力の人であったのもわかり、ますます好感度が上がりまくりですね!
これからもその美しさと、素敵な演技で私たちを魅了し続けてくれることでしょう。
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